それでも

「何のつもりかね、ホークアイ中尉?」


 ジャリ、と、靴底が地面を擦る音が鳴った。

 その音にを合図に、彼女は引き金にかけた指を緩め、銃口を頭から少し離す。
 そうして、その静かな瞳で、その声の主を睨んだ。
 だが当の本人はその視線に怯むことなく、力なく座り込み壁に背を預ける彼女に、再度問う。


「何をしている、と聞いているのだが」


 リザは思う。
 何故この男は、こんな状況で、こうまでも冷静でいるのだろうか。


 遠くに、時に近くに響く爆発音。あるいは銃声。そして悲鳴。


 もう、リザは限界だった。
 これ以上は、ただの足手纏いにしか他ならない。
 そしてそれは、リザにとっては許し難く、同時に耐え難いものだった。

 守ると決めた。守り抜くと。そして自分はその役目を果たした。最後まで果たせなかったのは無念であるが、ここで終わりを得ることが、おそらくは最後の役目。
 それ以外に選択肢などない。

 だから銃口を己に向けた。

 …と、いうのに。


「…見ての通りですが」
「新手の遊びということもある」
「この状況で何故そうなりますか」


 それはまるでいつも交わす他愛の無い会話であるかのように、彼は少し意地悪そうに笑って、彼女を試すような言い草をする。
 もしくはそうなのだろう。
 ロイ・マスタングとは、そうゆう男だ。


「…自殺は感心しないな」


 ジャリ、とまた一歩踏み出しロイはリザへと近づく。
 空気が動いて、火薬の匂いが鼻腔をくすぐるのをリザは感じた。
 慣れた匂い。おそらく、己の手にも染み付いているだろう。それくらい、何度もくりかえし引き金を引いたのだから。

 リザは、もう一度その銃口を己のこめかみにあてがった。


「――ならば、貴方が殺してくれますか」


 肌に感じる、冷たい感触。
 その手に取った鉄の塊が、次第に重みを増していくのをリザは感じた。

 殺されるのなら、貴方がいい、と。

 リザは、静かに思った。


 言葉にはしなかった。それは自身が赦さなかった。
 彼の咎を思ってではない。ただ、どこまでも、生き行く彼を守りたかったから。

 結局自分は、こんな時にまでこの人しか居ないんだなと思うと、苦笑もしたが、それでもそんな自分が誇らしくも思えた。


「――――そうだな」


 ロイは、静かにそう呟き、懐中から己の銃を取り出す。
 カチャリ、と独特のその音がして。

 ロイはその銃口をリザに向けた。


「君が私以外の他の男に殺されるぐらいなら、私が君を殺そう」


 冷たい目に、口元には薄く笑みを湛えて。ロイは言った。
 それが君の望みなら、と。

 その台詞に、リザは自身に向けていた銃を降ろし、静かに目を閉じる。
 貴方に殺されるのなら本望だと。
 その言葉すら、閉じ込めて。

 だって残す言葉など何もない方がいい。



 ジャリ、ジャリ、と。靴が地面をする音がする。
 リザはただ息を潜めて、その時を待った。


 カチャリ、と音がして。


 リザは息を、飲んだ。





 そして次にリザが感じたのは、内臓を抉る熱、


 ―――などではなく。




「―――大佐?」


 ロイの手に、その銃ごと包まれたリザの手。あたたかい。死んでない。生きている感覚。生きている、ぬくもり。

 どうして、とリザはいつの間にか目の前に来たロイを見つめる。
 見慣れた黒い瞳。
 いつもの、
 少し、
 ――挑戦的な、目。


 そして一瞬の隙に、リザの銃はロイの手の中へ。


「これはおあずけだ」
「なにを――」
「忘れたのなら、もう一度言おう。私は君を逃すつもりはないよ」
「…っ大佐!」


 先ほどまでの緊迫感はどこへ行ったのか。
 飄々と、いつものようにロイは笑う。
 ここが戦場であるということを一瞬忘れるほどに、ロイの振る舞いはいつもどおりで。

 リザは、責めるようにロイを見つめた。


「これが最良の選択なんです」
「…あるいは、そうなのだろうな。だが言ったろう。私は君を逃すつもりはないと。
 それがどういう意味か、分かるかね中尉」
「―――」


 こんな問答をしている場合ではないのに。

 リザは焦燥感に駆られながらも、反射のようにロイの求める答えを探す。
 逃がさない、と。
 死なせない、と?

 しかしリザが答えるより早く、ロイが笑った。


「君が死んだら私も後を追うということだよ」
「何を――っバカな!」
「そう、私は馬鹿者だよ。知らなかったかな」


 いっそ憎たらしくさえ思う。
 何故こんなにも。
 この人は。

 だけどきっと分かっていてやっているのだと、リザは知っていた。

 だからこそ余計に―――腹が立つ。


「貴方には! 成すべきことがあるでしょう!」
「君には無いと?」
「あります。
 だから私はここで終わるのですから」
「矛盾してるな」
「―――たい」

「リザ」



 一瞬の間。

 静かに、だけど強いその声音がリザを制し、ロイはもう一度その名を呼んだ。

 それで十分だった。



「リザ」


 昂ぶっていた感情が一気に静まる。
 リザはただ黙って、ロイを見つめた。

 そうして思う。
 結局自分は、この男に敵うことはないのだと。


「――リ」
「貴方は」


 遠くに、時に近くに爆発音が響く。あるいは銃声が。そして悲鳴が、号令が聞こえる。

 それでも、いつか同じものが見られるのなら。


「…貴方は、本当にバカですね」


 ―――そして、私も。


 そう言って、リザもまた。
 いつものように、静かに笑んだ。