a happy new year?

 パチンっ
 と、石の打ちつけられた硬い木板が鳴る。部屋は暖められているとはいえ、それでもやはり冷たく乾燥した空気には、いつもより一層澄んで聞こえる碁石の音。
 ヒカルにとっては、例えば森に響く鳥の声とか、途切れることなく聞こえる川音とか、そんなのよりもこの音が一番耳に心地よい。
 パチン、とまた、耳に伝わるシンプルな単音。


「〜〜〜〜〜っ駄目だ!投了だっ」
「ありがとうございました」


 言ってペコリと頭を下げ、いつもそうするように検討に入るヒカル。


「だからここでさ、こうすればよかったんだよ」
「……ふーむ…」


 顎に手をやり、ヒカルの説明に碁盤に見入るのはヒカルの祖父。碁を始めて間も無いうちに院生となりプロにまでなった孫にはただもぅ嘆息するばかりだ。
 なるほど、と相槌を打ちながらヒカルの解説を聞き、一段落が着いたところで碁石を碁笥に片付ける。


「もう一局やる?」
「いや、ちょっと休憩だ。餅でも食うか?」
「うん」


 その返事に、ヒカルの祖父は台所に居るだろう祖母とヒカルの母に声をかける。そうしてヒカルは、いそいそとこたつに足を入れる。幾分か冷えた足にあたる赤外線が暖かい。


「そういや、お前。初詣にはもう行ってきたのか?」
「いや、まだ」


 折角の正月休なのに、わざわざ好き好んであんな混雑したところには行きたくない。寒いし。疲れるし。
 そう答えると、ヒカルの祖父は僅かばかり眉をひそめて言う。


「若いもんが…誰ぞ一緒に行く奴とかおらんのか?」


 若いもんとか言われても、元来ヒカルは面倒くさがりだ。だから夏休みの宿題などはいつもギリギリだったし。

 ―――そういえばもぅ、宿題とかもやんなくていいんだよなー…。
 あんなに嫌気がさしていたのに、そう思うとどことなく寂しい気もする。かと言って、あったらあったでうんざりする事には変わりないのだが。


「ほら、ヒカル」


 母親のその声に、きなこがまぶされた餅の乗ったその皿を受け取る。そうして、ありがと、と素っ気無く言う。


「誰かねー…」


 そういえば、和谷たちが行くとか行かないとか、言っていた気がする。連日の仕事のせいもあって、最初から寝正月と決め込んでいたヒカルは速攻に否と答えたが。
 去年はどうしていただろうか。
 一昨年は。


 ……佐為と、行ったんだよなぁ…。


 古の都にその身を置いていた佐為は。そういった事にやたらうるさかった。だから初詣にはちゃんと行ったし、おみくじも引いたりしてそれなりにまぁお正月をしていたような気がする。おみくじの結果は覚えて無い。

 ―――だけど確か。


『ヒカル、見てっ。半吉だって!初めて見た〜!これって吉よりいいの?悪いの??』


 思い出す、幼なじみの声。
 そういえばもう随分と会ってない。
 去年も一昨年も、佐為が『あかりちゃんも誘って行きましょうよ』とか言いやがるから、そんであいつがわざわざウチまで新年の挨拶に来たりしたもんだから、ついでにとか行って一緒に出掛けた。
 佐為が現れる前もなんだかんだで一緒に行った。


 ―――そんで、今年は?



 ふぅ、と溜息を一つついて、皿に残っている餅を一気に平らげる。喉詰まるぞ、とう祖父の言も気にせず口に詰める。そうしていつもより時間はかかったものの口の中のものを全部お茶で流し込んで、口の端に残ったきなこを袖で拭う。


「…ごちそうさま。オレ、先に帰るわ」


 そう言うなりすっと立ちあがってさっさと玄関へ向かう。そんなヒカルの後姿を見送りつつ、また来いよー、と声をかける祖父の顔が紛れも無くニヤついてるのを、うん、と振り向きもせず答えるヒカルは気づく筈も無く。


 早く帰らないと。
 だってほら、正月だしな。
 いつもと違う正月じゃ、違和感があってなんか変な気分だろ?


 誰に言うでもなく言い訳じみた言葉を自問自答のように頭の中で繰り返す。だけどただなんとなく、……待ってるような気がしたから。


 久し振り?
 おめでとう?


 一番最初は、なんて言おうか。
 そんなことを考えながら、ヒカルは足早に帰路を急いだ。