14.とくべつ
大人気ないとは分かっている。
それでも、これで不機嫌にならずに居られるほど、俺は大人でもないらしい。
「待ってよ、ヒカル!」
追いかけるあかりの声。懸命に取り繕うとするのは分かったが、それに大人しく従う気にはならなかった。
だってそうだろ?
好きじゃないって。
なんなんだよ。
「ヒカル、怒ってる?」
違う。怒ってるんじゃない。
ただ、―――ただ、気にいらないだけで。
それが怒ってるんだと言われれば否定のしようも無いけれど。
途中、小さく上がる悲鳴や、すいませんと謝る声が聞こえる。たぶん、すれ違い様にぶつかっているのだろう。気にはなったが、優しく声をかけてやる気にはならなかった。
足早に雑踏をすり抜ける。
合間に吹き抜ける風は秋らしく涼しいはずなのに、どうしてか俺の中の熱は治まらない。
あかりのことを、幼馴染ではなく好きなんだと自覚したのはずっと前だ。
だけどそれを言葉にすることは無かった。
出来なかった、と言ったほうが正しいかもしれない。
俺は碁に夢中で、それこそ朝から晩まで碁のことばかりが頭を占めてる。それは変えようの無い事実だし、だからそんな俺が好きだといったところで、何の信頼性があるのかと思った。
俺のわがままにあかりを付き合わせてはいけない。
俺の都合であかりを振り回すわけにはいかない。
そのために必要だった境界線を、引いたのは他でもないこの俺で。
(…俺だって)
(好きなんかじゃない)
否定しているはずのその言葉は、予想外に自分の中に素直に納まり、そのために生まれる疑念に一層の不快感を感じる。
そうして、人通りが少ない場所に差し掛かった頃。
その不毛な鬼ごっこに幕を引いたのはあかり。
「〜〜〜っヒカルのバカ!」
叫ぶような声。それは耳に馴染んだ、昔から聞いているそれよりは少し低いが、声の調子は変わらない。肩に目一杯力を入れて、手を固く結ぶんだ。昔っから、怒る様子は変わらない。
ただ一つ、変わっているのは。
――それが涙声だということ。
「な…んでっ…わかっ…ってくれないっ…のよっ…」
嗚咽が混じり苦しそうに、それでも声を絞り出してあかりが言う。その声に、振り向くつもりなんてなかったのに思わず後ろを振り返ってしまった。案の定、ぼろぼろと大粒の涙を大きな目いっぱいに溜めている。あふれ出した涙は頬を伝って、それを手の付け根でぐいっと拭う。
「泣くのは卑怯だぞ」
「ヒカルがっ…聞いてくれないからでしょ!?」
「聞いたよ。俺が嫌いなんだろ。それで十分じゃねーか」
言っちゃいけないって分かってる。あかりを悪戯に泣かせるだけだと、それは分かっているのに、気遣いすら出来ない自分の口の悪さに辟易する。
だけどもうこれ以上聞きたくなかった。
それなのに、あかりはそれを許してはくれなかった。
「違う!」
そう、強く叫ぶ。
何が。
違う?
「違うの、そうじゃないの。
ヒカルのことは好きだよ。大好き。だけどそうじゃなくて―――」
「大嫌い?」
「ちがっ」
最低だな、俺。
だけど自分ではどうしようもなかった。
俺は自嘲気味に笑う。きっとあかりには、意地悪な笑い方にしか見えなかっただろうけど。
「私、ヒカルのこと大好きだよ。それは本当なの!
でもね、違うと思う。私たち、そうゆうのじゃないでしょ?」
「なんだよ」
「聞いて!」
俺の嫌味を遮るように、あかりが強く言う。
こんなあかりは滅多に無くて、俺も勢いに飲まれて言葉に詰まった。
「――ヒカルがね、好きだって言ってくれないのは何でかなぁって思ったの。
私のこと好きじゃないのかな、って。でもそんなことない、ってことも分かってた。
それでね、思ったの。じゃあ私はヒカルが好き?って。
それはもちろん、好きなんだけど。そうゆうことじゃなくて、もっと――」
そこまで言って、あかりが伏せていた視線を上るる。
そっか、なんだ。って、あかりが自分自身に呟いた声がかすかに聞こえた。
そうして俺をまっすぐ見つめる。何かを、決心した顔。あかりはもう一度、手の甲で涙の後を拭い、息を整えて言う。
「とくべつ、なの」
言いながらまた涙が流れて、思わずそれに見入って。
「好きだけじゃ、足りないの」
あかりの言葉の意味を、噛み締めるよう頭の中で反芻する。
「好きとかそんな言葉で片付けるのは嫌なの」
ああ、なんだ、と。俺も浮かんで宙に浮いたままだった疑念がことり、とマスにハマって。
「とても―――大切なの」
だから『好き』とは違うんだよ、と。丁寧に言葉を選んで口にするあかりに、柄にも無く、この上ない安心感を抱いて。
あかりに近寄る。
何も言わない俺にビクっとしたけれど、それも一瞬のこと。
俺はあかりの肩に自分の頭を預け、ただ祈るような気持ちで、呟く。
「ヒカ――」
「同感」
言葉にはめられない気持ちもあるのだと。
形にハマらない関係もあるのだと。
それらを図るものさしは、いつも自分たちの中にある。
「あかりがすげぇ大切」
抱きしめたいと、キスをしたいと心底思うけれど。
今はこれだけでいい。
とくべつにとくべつな君だから。
それでも、これで不機嫌にならずに居られるほど、俺は大人でもないらしい。
「待ってよ、ヒカル!」
追いかけるあかりの声。懸命に取り繕うとするのは分かったが、それに大人しく従う気にはならなかった。
だってそうだろ?
好きじゃないって。
なんなんだよ。
「ヒカル、怒ってる?」
違う。怒ってるんじゃない。
ただ、―――ただ、気にいらないだけで。
それが怒ってるんだと言われれば否定のしようも無いけれど。
途中、小さく上がる悲鳴や、すいませんと謝る声が聞こえる。たぶん、すれ違い様にぶつかっているのだろう。気にはなったが、優しく声をかけてやる気にはならなかった。
足早に雑踏をすり抜ける。
合間に吹き抜ける風は秋らしく涼しいはずなのに、どうしてか俺の中の熱は治まらない。
あかりのことを、幼馴染ではなく好きなんだと自覚したのはずっと前だ。
だけどそれを言葉にすることは無かった。
出来なかった、と言ったほうが正しいかもしれない。
俺は碁に夢中で、それこそ朝から晩まで碁のことばかりが頭を占めてる。それは変えようの無い事実だし、だからそんな俺が好きだといったところで、何の信頼性があるのかと思った。
俺のわがままにあかりを付き合わせてはいけない。
俺の都合であかりを振り回すわけにはいかない。
そのために必要だった境界線を、引いたのは他でもないこの俺で。
(…俺だって)
(好きなんかじゃない)
否定しているはずのその言葉は、予想外に自分の中に素直に納まり、そのために生まれる疑念に一層の不快感を感じる。
そうして、人通りが少ない場所に差し掛かった頃。
その不毛な鬼ごっこに幕を引いたのはあかり。
「〜〜〜っヒカルのバカ!」
叫ぶような声。それは耳に馴染んだ、昔から聞いているそれよりは少し低いが、声の調子は変わらない。肩に目一杯力を入れて、手を固く結ぶんだ。昔っから、怒る様子は変わらない。
ただ一つ、変わっているのは。
――それが涙声だということ。
「な…んでっ…わかっ…ってくれないっ…のよっ…」
嗚咽が混じり苦しそうに、それでも声を絞り出してあかりが言う。その声に、振り向くつもりなんてなかったのに思わず後ろを振り返ってしまった。案の定、ぼろぼろと大粒の涙を大きな目いっぱいに溜めている。あふれ出した涙は頬を伝って、それを手の付け根でぐいっと拭う。
「泣くのは卑怯だぞ」
「ヒカルがっ…聞いてくれないからでしょ!?」
「聞いたよ。俺が嫌いなんだろ。それで十分じゃねーか」
言っちゃいけないって分かってる。あかりを悪戯に泣かせるだけだと、それは分かっているのに、気遣いすら出来ない自分の口の悪さに辟易する。
だけどもうこれ以上聞きたくなかった。
それなのに、あかりはそれを許してはくれなかった。
「違う!」
そう、強く叫ぶ。
何が。
違う?
「違うの、そうじゃないの。
ヒカルのことは好きだよ。大好き。だけどそうじゃなくて―――」
「大嫌い?」
「ちがっ」
最低だな、俺。
だけど自分ではどうしようもなかった。
俺は自嘲気味に笑う。きっとあかりには、意地悪な笑い方にしか見えなかっただろうけど。
「私、ヒカルのこと大好きだよ。それは本当なの!
でもね、違うと思う。私たち、そうゆうのじゃないでしょ?」
「なんだよ」
「聞いて!」
俺の嫌味を遮るように、あかりが強く言う。
こんなあかりは滅多に無くて、俺も勢いに飲まれて言葉に詰まった。
「――ヒカルがね、好きだって言ってくれないのは何でかなぁって思ったの。
私のこと好きじゃないのかな、って。でもそんなことない、ってことも分かってた。
それでね、思ったの。じゃあ私はヒカルが好き?って。
それはもちろん、好きなんだけど。そうゆうことじゃなくて、もっと――」
そこまで言って、あかりが伏せていた視線を上るる。
そっか、なんだ。って、あかりが自分自身に呟いた声がかすかに聞こえた。
そうして俺をまっすぐ見つめる。何かを、決心した顔。あかりはもう一度、手の甲で涙の後を拭い、息を整えて言う。
「とくべつ、なの」
言いながらまた涙が流れて、思わずそれに見入って。
「好きだけじゃ、足りないの」
あかりの言葉の意味を、噛み締めるよう頭の中で反芻する。
「好きとかそんな言葉で片付けるのは嫌なの」
ああ、なんだ、と。俺も浮かんで宙に浮いたままだった疑念がことり、とマスにハマって。
「とても―――大切なの」
だから『好き』とは違うんだよ、と。丁寧に言葉を選んで口にするあかりに、柄にも無く、この上ない安心感を抱いて。
あかりに近寄る。
何も言わない俺にビクっとしたけれど、それも一瞬のこと。
俺はあかりの肩に自分の頭を預け、ただ祈るような気持ちで、呟く。
「ヒカ――」
「同感」
言葉にはめられない気持ちもあるのだと。
形にハマらない関係もあるのだと。
それらを図るものさしは、いつも自分たちの中にある。
「あかりがすげぇ大切」
抱きしめたいと、キスをしたいと心底思うけれど。
今はこれだけでいい。
とくべつにとくべつな君だから。
*ありがちばんざーい。