バレンタインデー・イヴ

written by まのあずみ様
 まあそれは毎年恒例の行事の一つであって。
 例え受験生でも、それは変わることがないようだった。


 友人の家から帰ってきてかばんをベッドに投げ出した時に、机の上に置かれている赤い包みに気が付いたヒカルは、眉をひそめた。
 昨日までこんなものはなかったはずだが。
 そう思いながら手に取ると、階下から彼を呼ぶ母親の声がする。
 ドアだけ開けて返事をすると、やっぱり母親も上がってくるつもりはないようで、そのまま返事がきた。
「机の上に、あかりちゃんからのバレンタインチョコ置いといたわよー。ちゃんとお返しするのよ」
 バレンタイン。
 そうか、もうそんな時期だったか。
 けれど、今日はまだ十三日のはずだ。腕時計を見て確認する。やっぱりだ、一日早い。
 そもそも、彼女は受験生のはずなのだが、こんなことをしている余裕はあるのだろうか?
 不思議に思いながらも、包装紙をはがしにかかる。彼女のことだから、きっと中身は手作りだ。早く食べた方がいい。
 遠慮なくひっぺがした包装紙の中からは、案の定、手作りらしいケーキが入っていた。
 白と黒のマーブルチョコで飾られたそれは、小さな碁盤の形をしている。どうやら、マーブルチョコが碁石の替わりらしい。
 思わず表情を緩めて、ヒカルは黒のチョコを一つ取り上げて口の中に放り込んだ。
 と、箱の外に挟んであったらしいメッセージカードを見つけて、ヒカルは指を舐めるとそれをつまみ上げた。
 あかりの、小さめのまるっこい字が並んでいる。
『Happy Valentine ヒカル。一日早いけど、良かったら食べてね。九路盤にしたかったけど、大きくなりすぎるから五路盤になっちゃった。ゴメンね』
 五路盤なんて実在するんだろうかと思いながら、ヒカルはそのカードをペンケースに立てかけた。
 包装紙はびりびりに破ってしまったからごみ箱行きだが、カードを今捨てるのは人間としてどうかと思ったのだ。
 毎年恒例の行事だ。幼い頃から、あかりはかかさず何かしら、手作りのお菓子を家に届けに来る。
 生まれて初めてバレンタインのプレゼントをもらったときのことを思い出して、ヒカルは微苦笑を浮かべた。
 泣かせたっけ、あの時も。
 くるくると表情を変える幼なじみの少女は、決して泣き虫なわけではない。涙もろいことは涙もろいが、基本的に楽天的で前向きだ。
 だからこそ、他の誰かが彼女を泣かせることは許し難かった。彼自身が泣かせることも含めて、だ。
 あの時泣かせてしまったから。照れと見栄から、あかりを泣かせてしまったから、だからヒカルはあの時からずっとホワイトデーのお返しを渡してきた。
 小学校の頃は、母親が用意していてくれたが、中学にあがってからはそれもなかった。
 もうひとつチョコをつまんでから、机の引き出しを開けて貯金通帳を取り出す。残高を確認してから、ヒカルは一緒にしまってあるキャッシュカードを取り上げた。
 あんたはまだ中学生なんだから、むやみに持ち歩かないのよ、と母親から念を押されているので、普段は入れていないそれを財布にしまう。
 自分の対局料なのになあ、と呟いて、返事のない自分の部屋を見渡した。
 けれど、返事はない。ないのがわかっていても、どこか期待して待ってしまう。
 思い出す。
 ――ヒカルヒカル、ほわいとでえとばれんたいんでえってなんですか?
 ――あかりちゃん、喜びますよ、きっと
 たった一年前だ。そう言って、笑った彼に、もう会うことは叶わない。声は届かない。
 けれど、確かにこの身体に、この胸に、受けとって刻んだものがある。それは消えない。消さない。
 去年、ヒカルがあかりに贈ったのは、デフォルメされたぶたのぬいぐるみに入ったキャンディーだった。『彼』は、その隣にあった、陶器で出来たくまの置物を薦めていたっけ。
 探してみよう。今年もあるといいのだけれど。
 そう思って、ヒカルは財布をかばんの中にしまいなおした。
 三月のカレンダーをめくって、十四日に赤い丸をつけたヒカルは、またチョコをつまんでベッドに体を投げ出した。
 碁石に見立てたチョコレートをかみ砕くのは妙にもったいなくて、ゆっくり口の中で溶かした。
 ひとつひとつ、置いていったのだろう。受験生のくせに、そんなのんびりした時間があったのだろうか。確か志望校にはぎりぎりだと聞いていたはずだが。
 それでも、届けてくれるあかりの気持ちが素直に嬉しかった。
「――甘」
 呟きに、やっぱり返事はない。
 けれどヒカルは、笑みを唇の端に浮かべたまま、目を閉じた。


 あいつも、結構気に入ってたみたいだったんだぜ? お前のこと。
 だから、今回は二人分からのお返しだ。
 お前は何も覚えてなくても、何も知らなくても、あいつはお前のことをよく知ってたんだから、かまわないよな?


 ――なあ、あかり?




*あとがき
 稀竜さんにリクエストないですかとにじり寄って書かせていただいたお話です。 いや本当のリクエストは「進藤さんちのホワイトデー(中三)」だったはずなのですが! ……どうしてバレンタイン前日の話になって? ちなみに何故前日かって、入試があったということでよろしくです。 ていうか本当にすみませんせっかくリクエスト頂いたというのにこんな話で……! 微妙な二人微妙な二人と呪文のように呟いて書いたはずなのに! 不思議です……。
 ともあれ、稀竜さんに捧げます。どうぞお納め下さいませv

*From KIRYU
ふたりぶんー!ふたりぶんー!(落ちつけ私よ) ラストの素敵っぷりにノックアウトです(古)。 ヒカルがね、なんだか少し大人なカンジでドキドキなのですよ!愛が溢れてる…!!(笑) まのさんのサイトにある幼少の頃のバレンタインの話を読むと尚楽しいかと。是非! まのさん本当にありがとうございました!!