ありがとう

「―――っきゃあ!!」


 突然鳴り響く雷鳴に、沙桐は思わず耳を塞ぐ。
 内大臣家に入り、入内まであと数日といったある夜の事。
 稲妻が天を走り、轟音で大地を揺るがせる。
 先ほどまでは弱く遠くで鳴っていた雷も近づいてきたようで、沙桐は恐る恐る耳をその手から開放した。


「――へぇ、意外だな。雷が怖いだなんて」
「こ、怖くなんてないもん。ちょっとびっくりしただけよ!」


 そうは言いつつも、早くなった鼓動を抑える様に胸に手を当てるその様はまるで説得力がない。その様子に、女房姿をした葵はクスリと悪戯っぽく笑う。


「そうだよね。沙桐姫とあろう者が、まさかこの程度の雷を怖がるなんて」
「そ、そうよ!こんなのどうってこと――」


 ドドンっっ

 と、腹の底に響くかのような雷鳴でその言葉は遮られ代わりに、わぁ!、と沙桐の叫び声が響き渡る。そんな沙桐に、今度は思いきり声を上げて葵は笑う。


「わぁ!って、もう少し色気のある叫び方出来ないわけ?」


 堪えられずに、また、くくくっ、と小さく笑う。
 部屋の隅には、几帳をがっしりと掴んで小さく震える、沙桐の女房であり乳姉妹である、志野。
 彼女もどうやら雷が苦手な様で、先ほどからただ黙りギュッと目を瞑って雷をやり過ごそうと必至だ。
 おそらく隣室には宰相の局も控えている事だろう。

 ―――普段あれだけ威勢がいいのに。やっぱり姫は姫ってことかな。

 葵は心中でそう呟く。
 自分とは違う、本当の「姫」。
 当に分かっている事であり今更それで胸を痛ませるほど弱くはない。
 痛くはないが、それでも桂花院で過ごしたあの日々は何処か胸を切なくさせた。
 そうしてあの気持ちは、寂しいとか悲しいとか、そんな言葉で片付けられるほど簡単なものではなかったはずであるのに。

 ―――僕も毒されてる、ってことかな。

 悔しいけど。認めたくないけど。
 この姫は。
 この姫には。
 きっとずっと、敵わないかもしれない。


「…悔しいから、言ってなんかやんないけどね」
「え?なんか言った?」
「なんでも!」


 自分の立場も人生も誇りも今までの思いも苦しみも悲しみも過去も未来も全部全部をかけてでたあの一大勝負が。こんな瞬間のためにあったのだとしたら。
 悪くないかもしれないと思う自分も大概甘いな、と思う。

 ―――絶対に絶対に、口に出しては言わないけどね?