ユキノハナ

 朝起きて、
 目に入ったのは一面に広がる銀世界。
「うわぁー!見て志野!すっごくキレイだよー♪」


 さむいさむい冬の、ある晴れた日。
 世界は白に包まれていた。
 夜の間に積もったのだろう、空から舞い落ちた白い花。
 朝焼けの光りを受けて白銀に輝いて。まるで世界が変わってしまったかのような錯覚を受ける。


「姫さま!そんな格好で外に出てたら叱られちゃいますよぉ〜」
「え?あ、そっか」


 そう言って「てへへ」と笑って見せる沙桐。
 舌を出して、少しだけ照れた様子で。
 さすがにこの格好ではまずい。
 起きたばかりで、まだ小袖(こそで)姿の沙桐は、庭の雪にちらちらと目を遣りつつ大人しく部屋へ入った。
 着替えてる間も、気が気ではない。
 早くしないと、あの白い輝きが消えてしまうような気がして。
 そんな筈ないのに。
 それでも焦る気持ちは止まらない。


「朝餉の支度が整いました」


 その声に、焦る気持ちがまた大きくなる。
 でもお腹は空いてるし……。
 今直ぐにでも雪の中へ駆け込みたい気持ちを抑え、沙桐は食事へ向かった。



  * * * * *



「――そんなに急がなくても、雪は逃げないよ」


 ふふふと笑いながら中務郷宮と呼ばれるこの家主は、いつもより2倍は速いペースで箸を動かす沙桐に言った。いつも元気にぱくぱくと食べる沙桐ではあるが、さすがにこれでは咽も詰まるだろう。だが沙桐は、頬を膨らませて反論をする。


「だって、早くしないと溶けちゃうかもしれないもん。宮様は、嬉しくないの?」
「楽しいよ」


 そう言って、中務郷宮はまたふふふっと笑う。
 いつもの含み笑い。何の思惑があるのか、彼の意図を的確に読める者は少ないが。

 中務郷宮の言葉に沙桐もまた意図を読みかねてしばし箸を止め、思案する。

(――楽しい?どうゆう意味??)

 だがその答えが出るより早く、中務郷宮はまた至極楽しそうに沙桐に告げる。


「ほらほら、早くしないと雪が溶けてしまうよ」
「分かってるわよっ」


 いつものように悪戯な笑みを浮かべる目の前の人物に多少むっとしながらも、沙桐はまた急いで箸を動かし始めた。





  * * * * *





「―――ごちそうさまっっ」


 箸を置くのが早いか否か。
 沙桐は食べ終わるなり席を立って、走るように庭へ向かった。


「姫様っ!はしたないですよっっ」


 咎める声に気にしてなんていられない。
 だってもう起きてから、1時間以上経っている。
 今日は寒いから溶けてはいないかもしれないけど、やっぱり。居ても立ってもいられない。
 背後から「マイナス500点っ」と言う声が聞こえた気がして、それはさすがに気になったけど。でもはやる気持ちの方がずっと強くて。
 声の主に、聞こえるように「ごめんなさーいっ」と言いながら逃げるようにその場を去った。
 そして志野もまた、その後を追う。
 その部屋に同席していた彼らに、失礼します、と丁寧にお辞儀をして退出する。そうして志野が部屋を出た折、二人の談笑が聞こえた。


「まったくもぅ……こんな事では先が思いやられますわね」
「まぁまぁ、今回は見逃してやってくれないかな」
「甘やかし過ぎるのもどうかと思いますけど?」
「今日は、トクベツだよ。姫にとって今日は……」


 立ち止まるわけにもいかず、だから志野が聞いたのはそこまでだった。





  * * * * *





「つっめたーい♪」


 庭に出て。
 沙桐は直接その手で雪に触れて、手のひらにのせた。
 さらさらした雪。
 雪を乗せたまま手を握り締め丸く固めてみるけど、すぐに崩れてしまう。
 崩れてしまった雪を落として。また新たに手のひらですくっては握り締め、形にならない雪を楽しむ。


「姫さまぁ…風邪引いちゃいますよぉ」


 後を着いてきた志野が、そんな沙桐の様子を見て呆れたように言う。
 どうやら彼女は寒いのが苦手らしく、手のひらに息を吐いている。吐かれる吐息はやはり白い。気休め程度ではあるがそれでも何もしないよりはマシなので志野はまた、ハァー、とその手のひらに息を吐く。
 そうしてそんな志野にはお構いなしに、はしゃぎまくる沙桐。


「とおっ」


 ぼさっ


「姫さまっ!?」


 突然の沙桐の行動に、慌てて志野が駆け寄る。
 なんてことはない。
 ただ雪の中に体ごと突っ込んでいっただけ。
 沙桐は体中に雪の冷たさを感じた。布越しに感じる雪の温度。じわりじわりと、冷たさが広がってきて。

(――気持ちいーい♪)

 ひんやりして、冷たくて。
 寒いけど、寒くない。


「姫さま、大丈夫ですか?」
「大丈夫だよー♪」


 沙桐はそう言って、志野に支えられながら体を起こす。
 もう少し雪に埋もれていたかったけど。
 起きあがって、着物に付いた雪を払い落とす。
 濡れてはいない。
 今日の雪は濡れるほど水を含んでいないようだ。さらさらな、粉雪。
 そして、また足元の雪に手を伸ばそうとした、その時。
 後ろの方から、雪を踏む音が聞こえた。ザクっと、雪特有の、あの音。
 それと同時に聞こえた声。


「姫。はしゃぐのもいいが、程々にね」
「でないと、怪我しちゃいますよ?」


 振り返ってみれば、中務郷宮ともう一人。二人が口元に扇をあてて、くすくすと笑っていた。


「弾正尹宮様!いらっしゃい!!」


 そう言って沙桐は二人に駆け寄る。
 重たい着物と、雪に足を取らてなかなか近づけない。
 普段は活発な沙桐もこの雪には敵わない様子で。


「っきゃぁっ!?」


 ぼすっ


 本日二度目の雪との対面。


「「「「‥‥‥‥‥‥」」」」


 沈黙。
 そして、


「――ぷっ」


 最初に吹き出したのは誰だろうか。
 白い雪とコンニチワしていた沙桐には分からなかったが、それを期に他の二人も一緒に笑い出した。雪のせいか幾分静かな屋敷の朝に笑い声がよく通る。
 そんな声を背景に、むくり、と起きあがる沙桐。
 それに気づき、三人は笑いを引っ込めようとするがおさまらない。


「〜〜〜〜っ笑ったわねっ!?」


 きっと三人を睨み付け、沙桐は彼らを背に雪に手を突っ込み黙々と作業をする。雪を掴んで握り締め、崩れやすいが決して固まらないわけでもないので力を込めて強く握り締める。
 そうして一通り作業を終え、振り返りざまに


 ぼすっ

 ばしっ

 ぼさっ


 ――投げつけた雪玉は三人とも、ほぼ顔に命中。
 さらさらな雪だから、痛くないハズ。


「フンだ!笑ったバツよっっ」


 そう言う沙桐の顔はしかし笑っていて。
 すごくすごく、楽しそうに笑っていて。
 そんな沙桐の様子に彼らもまた、口の端を上げてニヤリと笑って腕まくりをする。


「や……やりましたねぇっ!?」


 言うなり志野は屈んで雪に触れ、さっきまで感じていた寒さは何処へか、その雪をがしっと掴み沙桐に投げる。
 勿論顔は狙わなかったが。


「やったわねぇっ!志野っっ!こうなったら勝負よ!!」
「受けて立ちますっ」


 宣戦布告。
 中務郷宮と弾正尹宮の眼前を雪玉が往来する。はしゃぐその姿はまるで子供のようだが、しかし彼女たちらしい。
 楽しげな二人を見て、弾正尹宮は隣に悠然と立つ中務郷宮にだけ聞こえる声でボソリと言った。


「ホント、楽しそうですねぇ。毎年あんなカンジなのかな?」


 零れた台詞は、くすくすと笑いを含んでいて。
 だけどそれは決してばかにしたような笑いではなく、もっとずっと、優しいもの。
 自分たちが彼女と出会う前から、きっと彼女はあんなカンジだったのだろう。
 そう思うと、なぜか嬉しい気持ちが広がる。
 そして、
 その言葉に、中務郷宮もまたふふふと笑いながら答えた。


「だろうね。でも――今回は、特別だと思うよ」
「特別、ですか?」
「そう。特別」
「??」


 弾正尹宮は首を傾げる。
 特別。何が?


「――――沙桐姫にとってこれは……300年振りの雪なんだろうね」
「あ……!」


 その台詞に、二人は沙桐の方へ視線を移す。
 はしゃぐ彼女の溢れるような笑顔。
 いったいどこから溢れてくるのか。



 ―――自害を、した。
 だからこそ今、沙桐はここにいるのだけどそれでも。
 自らの命を絶つことは罪であって。
 その罰として、黄泉路の案内人をした。
 そうして自分だけを思ってくれる人に出会って。

 疑問が湧く。

 ―――ならば、その前は……?
 自分だけの人に出会う前。
 それは現実にはたった数日のことだったけれど。
 沙桐にとっては300年。
 その間、ずっと、沙桐は生きてはいなかった。



「そう……でしたね」
「本人を見てるとがあんまりお呑気だから、とてもそうは見えないんだがね」
「お呑気、ですか」
「思い悩んでるようには見えないだろう?」
「確かに」


 そう言ってまた扇で口元を隠し二人は穏やかに笑う。
 ――その時。


 ぼすっっ


 今度は顔面命中。
 中務郷宮の眉間の辺り。


「ぷっ」
「……私としたことが、迂闊だったな」
「それはいつもじゃないですか?」


 隣で聞こえる笑い声に、中務郷宮は何を思ったのか。
 手早く顔に残った雪を払い落とし、屈んで自分もまた足元の雪をすくい上げ、隣に立つその人にのに雪をもったままの手を、ぶつける。


「……っ宮っっ!!」


 ――かくて、戦いは始まった。
 真っ先に中務卿宮がバテて、弾正尹宮がお仕事を忘れていたことに気付くまで。



 それはさむいさむい、ある冬の日のこと。