馨る夏
「ご成婚おめでとう御座います、東宮」
「おめでとうございます、兄上」
「ありがとう、宮、常磐」
その言葉と共に手にした盃を軽く持ち上げ掲げる。まだ夜には早い時分、早々と宴を行うわけにも行かずこっそりと軽く祝い酒をあおる三人。沙桐は居ない。おそらく、宛がわれた部屋でゆっくりしていることだろう。ひょっとしたら、母上達に捕まっているかもしれない。(随分気に入っておられるようだったし)
持ち上げた盃を口元へ持っていき、傾けて酒を喉へ流し込む。ピリ、とした辛味が何とも言えず、もう一杯と手を出したくなるところだ。さすがにこの時間からそう飲むわけにも行かぬので手は出さないが。
「ホンット、苦労しましたねここまで来るのに」
「そうだね。――もっとも、その分楽しませては貰ったが」
「すまない、二人とも」
二人の言葉にそう謝罪すると、二人揃ってイイエ、と否定を表す様に首を振る。つくづく頼もしい二人だな、と心強く思う。
そうして盃に残っていた酒をもう1度あおったところで、常磐が再び口を開いた。目を細めて懐かしむ様に緩く笑って。
「姫と初めてお目にかかった時の事がもう随分昔の事のように思えますよ」
「懐かしいね…まさか、牛飼童で出会うとは思ってもみなかったよ」
「そうそう。若くして命を絶たれた清らかな姫――と伺ってましたからね」
常磐のその台詞に、宮がくすくすと笑う。扇で口元を隠したいつもの姿。自分と同じ姿であると言う事は私も笑う時はあんな様子だろうか。
「清らかだろう?沙桐は」
二人の笑いの意図を察し、私は二人に笑んで言う。多少破天荒ではあるが、あんなにも清らかな姫を私は知らない。
「とても純粋で、誰よりも物事の良し悪しを知っている。清らかな人だ」
それはある意味惚気というやつなのかもしれない。惚れた弱みというやつかも知れない。それでも私が知っている沙桐は。誰よりも純粋だ。そして。
「物事の良し悪し?」
「……生きるということと、死ぬということだよ」
生きたいと思うこと。死にたいと思って居るわけじゃないこと。そんな事思いつきもしなかった。きっと彼女は誰よりもわかっている。その行為を。その心を。
だからこそ惹かれた。
この人と生きて行けたらどんなにか幸福だろうかと。
「…そう、ですね」
そう呟いた常磐は少し俯いていて、遠い何かに思いを馳せるような、そんな様子だ。そうしてそんな常磐の様子をみて、宮がわざとらしくコホン、と咳を一つ零す。
「本当に、東宮は運がよろしいですね。姫の相手が東宮であられなければ、私だって、ね」
「宮…それはどうゆう…」
「さぁ?」
うっすらと笑うその様はいかにも怪しげで、私は思わず眉間に眉根を寄せる。だけど私が更に何か言うより早く、常磐が宮に便乗して何かを企むような笑みを含んで私に言う。
「そうですねぇ。私だってもし姫と先に出会っていれば…」
「常磐?」
そう聞き返すが、返事は無くただニヤリと笑うだけで。皆まで言うまでもなくその意図は分かっている。分かっていたから、それ以上問う事は無くただ小さく溜息をついて苦笑した。
…だけど私だって黙っているつもりはない。急速にもたれ軽く目を瞑って、呟く様に言葉を漏らした。
「例え二人でも沙桐は渡さないよ」
―――もし先に出会ったのが貴方達だったとしてもね。
夏の馨る、ある夕暮れの事。
「おめでとうございます、兄上」
「ありがとう、宮、常磐」
その言葉と共に手にした盃を軽く持ち上げ掲げる。まだ夜には早い時分、早々と宴を行うわけにも行かずこっそりと軽く祝い酒をあおる三人。沙桐は居ない。おそらく、宛がわれた部屋でゆっくりしていることだろう。ひょっとしたら、母上達に捕まっているかもしれない。(随分気に入っておられるようだったし)
持ち上げた盃を口元へ持っていき、傾けて酒を喉へ流し込む。ピリ、とした辛味が何とも言えず、もう一杯と手を出したくなるところだ。さすがにこの時間からそう飲むわけにも行かぬので手は出さないが。
「ホンット、苦労しましたねここまで来るのに」
「そうだね。――もっとも、その分楽しませては貰ったが」
「すまない、二人とも」
二人の言葉にそう謝罪すると、二人揃ってイイエ、と否定を表す様に首を振る。つくづく頼もしい二人だな、と心強く思う。
そうして盃に残っていた酒をもう1度あおったところで、常磐が再び口を開いた。目を細めて懐かしむ様に緩く笑って。
「姫と初めてお目にかかった時の事がもう随分昔の事のように思えますよ」
「懐かしいね…まさか、牛飼童で出会うとは思ってもみなかったよ」
「そうそう。若くして命を絶たれた清らかな姫――と伺ってましたからね」
常磐のその台詞に、宮がくすくすと笑う。扇で口元を隠したいつもの姿。自分と同じ姿であると言う事は私も笑う時はあんな様子だろうか。
「清らかだろう?沙桐は」
二人の笑いの意図を察し、私は二人に笑んで言う。多少破天荒ではあるが、あんなにも清らかな姫を私は知らない。
「とても純粋で、誰よりも物事の良し悪しを知っている。清らかな人だ」
それはある意味惚気というやつなのかもしれない。惚れた弱みというやつかも知れない。それでも私が知っている沙桐は。誰よりも純粋だ。そして。
「物事の良し悪し?」
「……生きるということと、死ぬということだよ」
生きたいと思うこと。死にたいと思って居るわけじゃないこと。そんな事思いつきもしなかった。きっと彼女は誰よりもわかっている。その行為を。その心を。
だからこそ惹かれた。
この人と生きて行けたらどんなにか幸福だろうかと。
「…そう、ですね」
そう呟いた常磐は少し俯いていて、遠い何かに思いを馳せるような、そんな様子だ。そうしてそんな常磐の様子をみて、宮がわざとらしくコホン、と咳を一つ零す。
「本当に、東宮は運がよろしいですね。姫の相手が東宮であられなければ、私だって、ね」
「宮…それはどうゆう…」
「さぁ?」
うっすらと笑うその様はいかにも怪しげで、私は思わず眉間に眉根を寄せる。だけど私が更に何か言うより早く、常磐が宮に便乗して何かを企むような笑みを含んで私に言う。
「そうですねぇ。私だってもし姫と先に出会っていれば…」
「常磐?」
そう聞き返すが、返事は無くただニヤリと笑うだけで。皆まで言うまでもなくその意図は分かっている。分かっていたから、それ以上問う事は無くただ小さく溜息をついて苦笑した。
…だけど私だって黙っているつもりはない。急速にもたれ軽く目を瞑って、呟く様に言葉を漏らした。
「例え二人でも沙桐は渡さないよ」
―――もし先に出会ったのが貴方達だったとしてもね。
夏の馨る、ある夕暮れの事。