我侭を君に

「…何故です」


 静かに、低く。咽仏を震わせ発せられたその声はいつになく重たく、そしてやり場のない憤りに充ちていた。
 黒く思い束帯姿に身を包んだ二人。
 左右両大臣が、御簾越しに褥におわす主上に詰め寄るように問いかける。
 周囲に人の気配は無く、ただ遠くで時折公務中の貴族達の喧騒が聞こえるのみだ。
 昼御座に柔らかい風が吹き込み、御簾が揺れ、几張がはたはたと踊る。


「私も是非、お伺いしたいですね」


 そう相槌を打ったのは左大臣。
 右大臣は口元に扇を当て、こほん、と一つ咳払いをし、左大臣の台詞に続けて言う。


「何故このような勝手をお許しになるのですか。いくら九条家縁の血筋であると言えど―――なぜ四位少将の娘などを…!」


 左大臣の娘であるなら納得できる。心底悔しいしそれを認める気は無いが、左大臣の娘であるなら。せめて理解は可能であるのに。
 ―――このような事体を、どうして納得することができようか。

 降りる沈黙は重く、もしその場に彼ら以外の誰かが居たならばその重圧に耐えかねただろう。
 どれ程の経験と年を重ねたらばこの威圧に耐える事ができようか。
 聞こえるのは遠くに聞こえる喧騒と風の音、木々の囁き。
 しかしその沈黙も長くは続かなかった。

 パシンっ

 扇を勢い良く閉じる音。閉じたのは両大臣ではなく、天井より吊るされた大きな御簾の向こうにおわす主上その人。
 鳴らした扇の音で己の声に再び集中する二人を見、静かに口を開いた。


「さて、どう説明したものか…」


 左右両大臣より幾分か軽い印象のその声はしかし、それでも威厳に満ちていて。二人は耳を済まして、その声に聞き入る。


「姫は―――あの子の唯一の我侭なのだよ」
「…我侭、とは」


 そう訊き返したのは左大臣。
 その問いかけに、主上は笑みを含んだ声音で、どこか嬉しそうに言葉を続ける。


「そう、我侭。あの物静かな東宮が、初めて私に頼みがあると申したのだ。今まで一度もそのような事はなかったのに」


 押し黙ったままの二人。主上は更に言葉を続ける。


「主上として、それが良いのかどうかは正直なところ判断しかねる。だがそれ以上に――東宮の父として。息子の唯一の願いを、叶えてやりたかったのだ」


 ―――唯一の。そしてたぶん、最初で最後の、我侭。

 私も親馬鹿だな、と苦笑交じりに主上が言う。
 だがしかしその言葉に両大臣は返す言葉も無く、ただ、そうですか、わかりました、と静かに答える。

 納得などしていない。
 だがしかし。理解は、出来る。
 彼ら自身、出世欲はあっても己が娘を出世の為の道具だなどと思った事などないのだから。
 主上たる人にああまで言われて。
 どうして無下にする事ができようか。

 ―――それは心地よい涼風が吹きぬけ頬を掠める、ある秋の日のこと。





※褥(しとね)…天皇が公務を執る所
※昼御座(ひのおまし)…天皇の日中の御座所