薄紅色の約束

 項垂れていく小さな背中に。
 あんなに愛しそうに抱いた桜の枝を零れおとしたその小さな手に。
 ―――ただ、守りたいと。
 打算も見栄も何もなくただ守りたいと、思ったんだ。
「殿…如何なさいました?殿?」
「いや…」


 怪訝な様子で隣を歩く政行が問うてくるが、私の思考は今それどころではない。
 先ほどの、小さな姫君。
 まるで折ってさしあげたあの桜の枝の蕾のような、小さく優しい姫君なのだろうと一目で分かった。

 ――守りたい。

 そんな風に思うのは初めてだった。


 不意に、鮮やかな管弦の調べと貴族たちの談笑が聞こえた。どうやら、思考に更けるうちに宴の席へ戻っていたようだ。
 急に現実に引き戻され、些か気分が悪い。
 まるで先ほどの出来事が幻であったかのように思え、もうしばらく思考に浸りたいと再び宴の席を離れようと踵を返したその時だった。


「そういえば、こちらには大層可愛らしい姫君がお住まいだとか」
「女二ノ宮…でしたかな」
「ご存知なのですか?大納言殿」
「いや……しかし噂は伺っているよ。春のように愛らしい姫君だと」
「そう――そうですよ!いずれ大納言殿が然るべき官位を頂く頃には、かの姫君もさぞお美しくおなりでしょう。降嫁なさる折には、どうです?名乗り出てみるというのは―――」
「ははは。そうだな」


 ―――――!?


 思わず硬直する。
 今、何と?
 ――三条の大納言殿。
 家柄もご身分も申し分なく、将来も有望とされている。いずれ大臣へと昇るだろう。さすれば、降嫁の折に姫君を頂戴するのは間違いなく、彼だ。(年齢的にも許容範囲であるし)

 守りたいと思った。
 こんな気持ちは初めてだった。
 だというのに、こんな。


「―――」
「殿!?」


 突然足を速め宴の席へ向かう私を政行が慌てて追いかけてくる。しかし私は振り返ることもせずに、目標に向かってわき目も触れずに歩みを進める。無論礼節は欠かしているつもりは無いが、それでも自分を目に留めた人には些か不躾な態度であったかもしれない。
 部屋の隅からそっと、彼に近づく。
 宴もたけなわとなっていて、多少の事は誰も気に留めまい。


「大納言殿」
「おや、貴方は――」
「一つ申し上げておきたいことがございます」
「…何かな」
「貴方には。負けません」


 そう言ったとたん大納言殿は目を丸くさせ、呆然としているのを尻目に、失礼します、とその場を離れた。

 守りたいと思った。
 守るのだと決めた。
 だから―――


「殿っ待ってくださいっ」
「遅いぞ、政行」


 立ち止まる暇など無い。追いつかなければ何も始まらない。そうして、追い越さなければ。あの姫君は。

 桜を攫うように吹く風を頬に感じながら固く誓った、薄紅色の季節のこと。











*玲音さんに捧げます。