幸福

 私とあなたと、もう一つ。
「ご報告申し上げます。東宮女御様、お戻りになられました」
「…そうか。報告有難う」


 いつになく忙しない東宮御所の一角。
 渡る風が涼やかで心地よい、秋。
 はやる気持ちを抑えるように、私は一つ嘆息を漏らす。

 宿下がりをしていた沙桐が戻ってきた。
 子供を、新しい命をその身に宿した我が姫は産み落とす為と実家に戻られていて。
 …おかえりなさいと、言える事の幸せ。
 自然と扇を持つ手に力がこもる。

 間も無く静かに足音が聞こえて。
 沙桐、だろうか。
 いつもはもう少し賑やかに歩く彼女であったのに。
 足音は一つ。
 供人を連れずに来たのだろうか。

 はやる気持ち。
 今すぐ駆け出したいような。
 そんな気持ち。

 やがて静かに御簾の向こうに影がうつる。
 そうして間も無く、赤ん坊を抱えた沙桐がその体で御簾を押しやって中へ入って来る。
 私が慌てて沙桐に駆け寄り御簾を持ち上げると、沙桐はいつものあの笑みで。


「ありがとう、陽朔。―――ただいま」
「…おかえり、沙桐」


 愛しい人を迎える瞬間。
 それはきっと至上の幸福。

 この子が?、と赤ん坊の頭を撫でながら呟くと沙桐が静かに、うん、と頷いた。

 渡る涼風が赤ん坊の柔らかい髪を攫う。
 まだ少しくしゃくしゃな顔。
 瞑られた瞼と。
 小さい手と。
 それは触れるのを躊躇う程の、神聖なものに思えた。

 恐る恐る指で突付いて。
 その柔らかさと暖かさに驚く。

 ―――生きている、命。

 そんな私の様子を見て、沙桐が言った。


「ねぇ、陽朔」
「なに?」
「―――あたし、幸せだよ」
「沙桐…」
「陽朔に出会えて良かった」


 ―――もう一度、生きることが出来て良かった。


 …そう言って笑う沙桐は。
 まるで春の朝焼けのような、柔らかくて優しくて誰よりも綺麗だと素直に思った。



 私の愛と貴方の愛で織り上げるこの新しい命が。
 どうか幸福でありますように。