恋文

 御簾の合間からちらりと覗き見、
 一目二目と恋に落ちたらば。
 想いを文に、その歌に、
 託して届ける時代の定石。

 ――どうかこの胸に咲く華が貴方に届きます様に。
「え、うそぉ!」
「姫様っ!そんな大きな声で…!」
「だって…!えー?」


 驚きの興奮冷めぬ沙桐姫を真っ赤になって姫付きの女房、志野は咎める。シー、と言わんばかりに口元に指を立てて。
 中務郷宮邸に設えられた、沙桐姫の部屋。
 その一角で、声を潜めて沙桐は言う。


「で、どうするのよ?」
「ど…どうしたら良いでしょう…」


 困惑顔で、志野は聞き返す。まだ少し頬を紅潮させたまま、手を固く握り締めて膝元へ圧しつける。
 こんな事は、初めてなのだ。
 人伝に聞いた事はあるけれど、でもまさか自分自信に降りかかるような事だとは思ってもおらず―――いや、勿論、そうゆうこともあるといいな、と思った事が無いわけではない。
 だけど実際に、起こるなんて。
 どうしたものか、全くもってわからないから訊いているというのに、相談された当の沙桐もこの手の事は全く無知で。


「とにかく、このままにしておくわけにはいかな…」
 そこまで言って、沙桐はふと自分たちに落ちる影と後ろの気配に気付き振り向く。そうしてそこにいたのは、柔らかい紫の直衣をその身に纏った邸の主、中務郷宮と、碧の鮮やかな直衣を纏った弾正尹宮、二人が覗きこむ様にして立っていて。さも一部始終を見ていましたと言わんばかりに、二人とも扇を口元に当て悠然と笑んで言った。


「何がかな?」
「何がです?」

「「―――っきゃあぁぁぁぁぁ!」」


 叫んで揃って後ずさりをする沙桐と志野。そんな二人の様子をみて、少しだけ目を丸くし、おやおや、と中務郷宮は呟き弾正尹宮はくすくすと笑った。
 わざわざ几帳の影に隠れてこっそり話していたのに。二人は驚きを隠せずに逸る心臓を抑えながら二人に問う。


「ふ、二人とも!お仕事はっ!?どうしたの?サボり!?」
「宮様方、今のまさか聞いてらして…?」
「仕事は今日はもう終わりだよ。話は途中から」


 二人の驚きを余所に、中務郷宮は飄々と順に答える。


「途中、って…どこ?」
「姫の、うそぉ!?、からですよ」
「ほらぁ、姫様が大きな声だすから…!」
「だってー!」
「…それで、何が「うそぉ!?」なのかな?」


 そう言って中務郷宮が笑うさまは既に質問ではなく脅迫のようで。答えないわけには行かない。この宮の前では、抵抗する事すら無駄のようで、沙桐はしぶしぶながら、志野は再び真っ赤になりながら事の次第を二人の宮に伝える。


「恋文?」
「ですか?」


 まるで阿吽の呼吸であるかのように、中務郷宮の言葉に弾正尹宮が続ける。

 事の次第は単純且つ明解であった。
 志野が、恋文を貰った。
 ただ、それだけ。
 しかしながら何分初めての事であったので、どう対処したものかが分からずこうして相談していたわけである。

 沙桐は志野から預かったその文を二人に差し出す。


「ひ、姫様っ?」
「だーいじょうぶだって」


 カサリ、と軽く音を立てその文を広げる。
 広げて鼻腔をくすぐる品の良い馨り。
 広げた文もまた良い料紙を使っているのだと言う事は沙桐や志野にも分かった。


「おや、これは――」
「右衛門督じゃないですか」
「うえもんのかみ?」
「そう。礼儀正しくて堅実な方だよ。仕事も早くて正確だ。そう遠くないうちに参議に昇られるだろうから、将来も有望」
「へーぇ。凄いじゃないの志野!」
「か、からかわないで下さいよぅ」


 そう言って志野は、紅潮する頬を両手で抑え必死に照れ隠しをし、沙桐はそんな志野を面白がって、このぉ、やるじゃない!などと言って肘で志野を突付く。
 中務郷宮は文を見るために閉じていた扇をまたハラリ、と開き口元へ持って行き、二人の様子をそれはそれは楽しそうに見つめて、いつもの様にふふふ、と笑った。


「…でも確か、右衛門督は―――」
「弾正尹宮。偶にはね、志野ちゃんにもお勉強は必要だと思わないかい?」
「ですが、」
「勿論悪い様にはしないさ」
「何の事?」
「ひ・み・つ」


 中務郷宮の言葉に、弾正尹宮はしばしその文を握り締め、思考に更ける。しかしその思考も間を置かずに結論は出た。
 お勉強?
 冗談じゃない。
 思って、弾正尹宮は文を握り締め、スックと立ちあがり志野に告げる。


「志野さん」
「は、はい」
「志野さんはこの方とお付き合いする気は、ないんですよね?」
「え?あ、はい。どうやってお断りしたら良いのでしょう」
「いいよ。私が代わりに、丁寧にお断りしておくから」


 やんわりと笑って弾正尹宮は言う。自他供に認める世渡り上手の一因であるだろう、人畜無害のその笑み。だけどその笑顔の意味に気付いたのは、中務郷宮一人だった。


「でも、先方にも失礼ですし、宮様もお忙しいのでは――」
「大丈夫大丈夫。志野さんは、女官教育の方を頑張って下さい」


 そう言って弾正尹宮は退出する。その足取りが心なしか重たいものであると気付いたのもまた、中務郷宮一人だった。


「宮様、右衛門督さまには何かあるのですか?」
「ああ、彼はね、プレイボーイなのだよ」
「プレイボーイ?」
「そう。流石に噂に名高い按察使大納言殿程ではないけどね。しかし、――――――これは、予想外だな」
「何が?宮様?」
「こんな所に、思わぬ伏兵が居たとはね」


 そうポツリと呟いた言葉は、誰にも理解される事の無いまま。ただ中務郷宮が、静かに笑った。


 それは平和な日常の、平和じゃない時が訪れるかもしれないと予感する或る日の事。












 *おまけ。

「志野さん」
「はい?」
「これを、受けとって頂けますか?」
「…文、ですか?」
「初めてのお文があんな風になってしまいましたからね、お詫びです。偶には、いいでしょう?」
「―――――ありがとうございます…っ」


「おや?私には無いのかい?桜の君」
「ありませんっっ」