Never die

 彼女は"痛み"をしっているひと。
「…どうしたんです、その怪我」
 仕事を終えて船(ここ)へ戻ってきたケインのその頬には、ラインを引くように刻まれた赤い傷跡があった。薙いだ刀傷の、ような。血はもう止まっているようだけど。
「ちょっとな」
 心配して訊いたのに返って来た返事はそれだけ。ケインは時々、こういう時がある。明らかに自分より下の相手に傷付けられたのは彼のプライドが許さないのだろう。長い付き合いだから、それはその返事から伺えた。
「私が油断してね。庇ってくれた時、相手のナイフが、ね」
 申し訳なさそうにミリィが言う。かして、と救急箱を持った私に手を差し出す。足手まといになることは彼女の最も嫌うところ。せめて手当てぐらいは自分が、ということだろう。
 私ははい、と救急箱を手渡す。
「ありがと」
 受け取るなり、手際良く手当てをしていく。
「いいよこんくらい。ほっときゃ治る」
「そーお?」

 ピトっ

「〜〜〜〜っ!!」
 声にならない声で叫ぶケイン。ミリィが手にしているのは私特製の消毒液を湿らせたガーゼ。とってもしみるけど、その代わりにその効力は薬剤界ナンバーワンだと自負している。
「大人しく手当てされた方が身の為みたいですよ」
「そうそう♪」
 私のセリフに賛同し、ニコニコしながら再び消毒液をを傷口に近づける。
「わ、わかった。――分かったからそれは、勘弁してくれ…」
 涙ながらに言うケイン。余程あの消毒液は効いた様だ。
 ケインの反応に満足し、ミリィは別の消毒液を探る。
「じゃあ私は出航の手続きをしてきますから、終わったら来て下さいね」
「あぁ」
 その返事を確かめて、私はケインたちの前から立体映像を消した。
 その後の、二人の会話は。
「こんくらい、なめときゃ治るのに…」
「そんなとこ、どうやってなめるのよ」
 ケインが怪我をしたのは左の頬。自分でそうできるひとがいればそれは間違い無く奇人と分類されるだろう。
 呆れ顔で言うミリィに、ケインはニヤリと笑んだ。
「お前が」
「――――嫌」
「…即答かよ」
 そう言ってしなだれるケインは気付いていない様だが、冷静に答えるミリィの耳は真っ赤だった。おそらく表情には出してないのだろう。おそろしく器用なポーカーフェイスだと思う。

 ――二人とも、素直じゃないんだから…。

 折角気を利かせて二人きりにしてあげたのに、ね。
 だけどまぁ、二人らしいな、とも思う。何も急ぐ事は無い。約束されたわけではないけど、それでも確かに、私たちの前には未来が、あるから。


 彼女は"痛み"をしっているひと。
 傷つく事を知っている人。
 意味の無い傷など無いと、理由の無い痛みなど無いと、知っている人。

 ――"痛み"という感覚を忘れかけたこの歪んだ世界で。


 だからケインは癒される。
 そしてきっと、自分も。


「キャナル、お待たせ♪」
 そう言ってコックピットに入ってきたのは、ミリィ。
「あら、ケインは?」
「ナンか傷が痛むみたいよ?向こうで休んでるわ」
 ミリィのその言葉に、私は先ほどいた部屋に意識を向ける。
 …これは、休んでいるというよりも…
「キャナル特製消毒液、随分減ってるみたいだけど?」
「いーよね、あれ。今度私にも作ってね」
 それはそれは楽しそうに笑うミリィ。おそらくケインは消毒液をたくさん、かけられたのだろう。
 …人が目を離した隙に何をしでかしたのやら…
「まぁ、いいわ。代わりにミリィ、出航命令出してくれない?もう5分ほどでまた料金が加算されちゃうわ」
「―――いいの?」
「仕方ないでしょ」
 本来これは船の主の権限だけれど。背に腹は変えられないし、それに―――
「じゃあ、えっと…」
 言ってミリィはメインシートに座る。その様子を確認してから、言う。
「出港手続き完了。システムオールグリーン。ソードブレイカー出港します。
 ――ミリィ、そこのレバー引いて」
「こう?」
 私の指示通り、レバーを引いて、ミリィは言う。それはケインが言ういつものセリフ。
「―――ソードブレイカー、発進!」
 その言葉に船体を固定していた固定アームを解除し、緩やかに発進する。開かれたゲートの向かうに広がるのは漆黒の闇と白銀の星々。
「ソードブレイカーより管制塔へ―――出航完了。誘導を感謝します」
「了解。よい航海を!」
 その声を合図にしたかのように、宙(そら)へと船を駆ける。未来を紡ぐ、その闇を。





 ―――それに。

 ミリィ(あなた)は私のもう一人の、マスターだから、ね。










*飛鳥未祈さんに捧げます。