ビターチョコレート

『バレンタインにチョコレートはいかが?』
 そう書かれた広告が、ニュースをチェックしているミリィの目に映った。

 もう、そんな時期かぁ。

 そう思い、その広告に少し見入る。バレンタインは、大切な人にプレゼントを贈る日。かつてまだ人類が母なる星に居た頃、さらにそのずっと昔に、バレンタインという名の人が殉死した日だと、記憶のそこから知識を引っ張り出す。が、何がどうなってそんな日になったのかはどうしても思い出せなかった。
 そしてそんなことは、問題では無い。

 偶には、作ってみるのもイイかもね。

 そう決めるや否や、早速準備に取りかかるミリィ。チョコレートは自分も好きなので作り方は知ってるし、幸い材料も揃っていた。
 チョコレートを溶かす時何故かボウルが溶けた事とか、冷やす時冷凍庫の中で奇妙な音がした事とか、そんな事を気にするミリィではない。結果的に美味しければそれで良いのだから。
 キッチンの窓からは、限りなく広がる草原が見える。緑の丘に、一本の樹が堂々と立っているのが遠くに見える。吹き込む風は春色を持って優しく髪を撫でる。
 チョコレートが固まるのを待つ間。
 ミリィは部屋の片付けをする事にした。


 今日は、ここでお茶にしようかな。

 例え部屋を使わなくとも、時間がたてば自然と埃は溜まっていく。いつでも使える様に、キレイにしておこうと、ミリィはそれを自分に課した。窓をあけ、換気をする。部屋の主に怒られることがないように、辺り障りの無いところを掃除していく。
 ―――例えそれが無意味だとわかっていても。



 …もう、そろそろかな。

 思って、掃除を終えキッチンへ向かい、しっかりと固まったチョコレートを取り出す。それらをキレイにお皿へ盛り付け、先ほど掃除した部屋へ向かう。


 遠い昔。
 チョコレートの贈り物と共にオンナノコ達は自分の想いを告げたと言う。


 ミリィはチョコレートを一欠けら口に放る。いつもの市販のチョコより少しだけ、苦い。だけどやっぱり甘い。
 一つ、二つ。
 口の中が空になるたび、また一つチョコレートをほおばる。

「ばっかみたい、私…」

 呟いたその声を受けとめる人は、誰も居ない。
 ただ、口の中に広がるほろ苦さだけが、確かな感覚で。

 バレンタインにはチョコレート?

 一体、誰に?
 何の為に?
 ―――誰も居ないのに。

 また一欠けら食べようと伸ばした手が、その寸前で止まる。
 その手に触れるのは――――涙だけで。

「ケインっ……何で帰ってこないのよ……っ」

 そう呟いて、
 久し振りに、
 泣いた。



 優しい風が静かに吹いた。





*JOKERより再録